思うこと

 先週末に残念なニュースを聞いて落ち込みました。さんざんニュースで放送されていたので嫌でもその映像が目に入ってきます。ようやくニュースが落ち着いてきたみたいですが、もうこんなニュースは聞きたくないですね・・・。

 安倍元総理。個人的にはすごく応援していた人でした。日本人としてあのトランプ元大統領とゴルフ外交なんかしている映像を見るとこんな宇宙人みたいな人とよく親しく話せるな〜と政治家という仕事は凄いな〜と改めて感じた記憶はまだ鮮明に覚えています。今では名前を出すだけでも恐ろしいプーチン大統領とも会談し話し込んでいた姿はただ凄いな〜と思いました。真剣に日本の事を考えて行動されていたんだな〜思いました。外交とは議論を重ねる事だと。まずは議論。その姿勢は一貫していたように思います。また、奥様に対しても惚れ込んでいる様子が非常に好感を持ちました。ただ純粋性の高い方だったんだな〜と思います。

 今回のこの事件を受けて僕は2つのことを思いました。一つは人は怖い。二つ目は一人一人の命の薄さです。犯人の動機ですが、よくわかりません。いろんな情報が出てますがそういった内容でもわざわざ銃を作り安倍元総理を銃撃しようと達する思いがやはりわかりませんでした。様々な経緯があったことは乏しい想像力の自分でもわかります。母親が宗教にハマり、破産し、偏差値の高い進学高に進んだにも関わらず卒業後就職。その中でコミュニティーがうまく取れずどんどん孤立していく。そして生きるためにはやはり目標が必要でその目標はただなんでも良かったんだと思いますが、残念な目標を見つけてしまい、それを生き甲斐に実行していきます。囚われた後の犯人の様子は全てが終わったような喪失感が見えました。これは強い憎しみや恨みからの犯行ではなく、生き甲斐である目標を失ってしまった、喪失感に近い感情だろうと思いました。

 日本の社会には無言の圧力が強く存在するのではないかと思います。もちろん一般的な常識に気づき行動する精神は非常に素晴らしいと思っています。しかし、発達障害と言われる人やコミュニティー障害と言われる人に対する排他的な行動や言動も強く存在し、知らず知らずのうちにそういった人たちを追い詰めているようにも思います。以前、民俗学者 宮本常一(周防大島出身)の「忘れられた日本人」という本を読むと昔の集落では町の決め事では何度でも話し合いを重ね決め事を行っていたそうです。そういった時でも一人でも反対が上がるとその度に何度でも話し合ったそうです。人と人が協力しあって生活する社会では何度でも話し合うことがやはり重要だったんでしょう。話すこと。それはつまりお互いの存在を確かめ合うことです。非常に重要な時間だと思います。尊いあなたの人生。尊い私の人生。それを確かめ合うことに他なりません。現状ではこういった話し合いの場はもう皆無です。

 今の小学校ではコミュニケーションに富んだ人は陽キャ、話せない人は陰キャと言われるそうです。また学校カーストという言葉も印象的です。そんな言葉が出てくる環境にある現状では多様性に富んだ明るい未来は来ないように思います。そろそろみんながいっせいに気づく時代が来ているのではないでしょうか?みんな一人一人違ってみんないいと。そういう寛容性の高い社会が来ない限りこのような事件はずっと続くのではないでしょうか?

 今回も散文的になってしまいましたが、この事件を受け考えがまとまらないまま文字を打っています。自分でもまだうまく受け止めきれていないようです。

 ただこの感じたことや思ったことは忘れないようにしたいと思います。

 

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