フランスから学ぶ事

フランスが62歳→64歳へ年金受給開始を引き上げる事を強行採決して暴動が起きています。

たった2年の引き上げで??と驚いた自分は典型的な日本人なのかもしれません。

この暴動には「国民の意識」が感じられました。それは老後の貴重な自由時間を奪われる事と国民の意思を無視して政府が強行に決められる事への不満です。どちらも国民の存在を軽んじている事への怒りだと思います。

多様化する社会に対応できる社会システムの構築は難しく、その都度話し合って決めて行くしかないと思いますが、政治に責任を伴う人々とある程度そういった人たちに任せた人々とは立場の乖離が激しく、相手を思いやる意識というものが希薄になります。そうするとこういった民衆の怒りが育って行くんだと思いました。

ただ、自分が思ったのはフランス国民の政治への意識ではなく、一人一人の存在を大事に想って当たり前だという意識です。

先日WBCでもブログに書きましたが、「犠牲バント」は自分がアウトになって味方を進塁させるバントです。これが良いという文化も大事ですが、プレーヤーが楽しむ事を無視して結果を求める文化というのはもう古いのではと思っています。もちろん犠牲バントがしたいという選手でそこが選手自身が輝く場面なら選手の意思を尊重するべきでしょうが、打ちたいのに打てる可能性が低いと監督が判断して勝手に「犠牲バント」の指示を出すのはもう時代遅れではないかと思っています。

ここで話をクロスしてみます。

つまりこの場面では監督はバントした方が良いと思っても打者は打ちたい!と言う。監督が政府で打者が国民であれば、このまま行けば少子高齢化で納税者が減る。納税者が減れば今の社会が立ち行かなくなってしまうからせめてもう2年長く働いてほしいと思って勝手にサインを出す。そうすると打者は打てるって言ってんじゃんっ!て怒る。じゃ〜、どうすれば。

話し合う、時間をかけて話し合う。永遠に話し合うのではなく期間をある程度決めてこの期間は年金のことについてみんなで話し合いましょうとして、話し合う。これしかないと思います。国民が国民自身の生活を大事にしたい気持ちも政府が国民のために何が良いのか時間をかけて決めて来た事もひっくるめて話し合う。ただ政府側の人たちが多少裕福に見えるのは悲しい現実です。でも話し合う。そこは自分が立候補せずにある程度任せたんだから、感情的にならずに話し合う。宮本常一の「忘れられた日本人」で書かれていたように何度も皆が納得いくまで部落で話し合う。これが基本だと思います。

スポーツを通じて他者を思いやり、自分の意思も大切にする。スポーツは社会全体をより良くする事が出来るかもしれません!スポーツをみんなやりましょー!

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